奈良きたまち
近鉄奈良駅の北側、東大寺の西側に広がるエリアが「きたまち」と呼ばれるようになって約30年。
住む人のくらしの合間に、少しずつ増えてきた個性的なお店、そして、まちの人とともに在るお寺や神社、祠などの祈りの場と、奈良女子大学、県庁、美術館などの文化施設が点在するまちです。
初めて歩くのに、いつか来たことがあるようななつかしさに包まれるまち。
目的地を決めずに、気の向くままに歩くのが楽しいまち。
ここ「きたまち」で生まれた「きたまちコンセント」では、
いろいろなお店や団体、人と人とがゆるやかにつながり、ほかのまちともつながり、
あしたがもっとすてきな未来へとつながっていくような活動をしています。
歴史のモザイクのまち
人呼んで「歴史のモザイク・きたまち」。
奈良時代は、平城宮と東大寺を結ぶまちとして賑わった。
東大寺転害門(国宝)はいまも堂々とした姿で在り、奈良の大仏様を発願された聖武天皇・光明皇后の御陵もある。
『万葉集』に詠われた佐保川がまちを流れ、戦国時代には松永久秀が織田信長もうらやむような多聞城を築き、松屋会記を残した土門家が茶の湯を愉しんだ。
江戸時代に入ると、奈良奉行所が置かれ、名物奉行・川路聖謨がここで政務を執った。この場所は現在では奈良女子大学となっている。
京へ向かう人、京から来る人が行き交い、旅籠も多くあった京街道もきたまちを通る。南都八景と称えられた「雲居坂雨」、「轟橋旅人」はこの道沿いの風景だ。